2022/02/12 16:51

入試だけでなく、スポーツの勝敗や人生の成功なども最後の最後のところでは運の要素が強いように思います。「引きが強い」とか「強運」であるとか「運が良い」というような言葉があるのは、そうした人生の経験を反映しているのでしょう。

しかし、一方で冷静に考えてみると、(というより数学的に考えてみると)運というものはすべての人に平等であるはずです。さいころを振って、6が5回連続で出ることはありますが、振る回数が増えれば増えるほど、6が生じる可能性は1/6に近づくのと同じ原理です。要するに、たった一回の勝負事でしたら運の要素が大きくなることはありえても、人生のような多くの分かれ道が生じるものは、運で切り抜けるには複雑すぎるため、運で片づけられるはずがないということです。しかし、それにもかかわらず、長年入試に関わってきますと、運を引き寄せる人がいると感じざるを得ません。

今回上智大学法学部に合格したYさんにもそのような運を感じました。

まず、お母さまが問い合わせをしてきたのが9月下旬でした。書類提出までひと月ほどだったと思います。来られた際に言われたのが、お父さんと一緒に書き上げた課題レポートが「何か違う」と思ったからだというのです。その何かは分からないが、とにかく「何か違和感を覚えるのでプロの人に見てもらいたい」ということでした。面談にお越しいただいて、お話は一通り聞きましたが、基本的にそのような短期間で納得のいく書類が書きあげるのは難しいというのと、その他にも理由があったため、その日のうちに入塾はお受けできないとお断りの電話をしようと考えておりました。ところが、こちらが電話をするより早く、お母さまよりお電話があり、今日からでも入塾したいという旨を伝えられました。こちらが電話をかけようと握った際に、かかってきましたから本当に数秒の差であったと言えます。

塾に来て、初日から公募推薦の書類は全面的に書き直しをしました。

文章で書くとたった一行で済んでしまいますが、お父さんと時間をかけて書いてきた自分の力作を、否定されるのです。しかも初対面の人間に。褒められるわけでないのですから、気持ち良いはずがありません。それからも、毎日こちらが読んで、添削をして書き直しをして・・・の連続です。

そうした日々が続いても、Yさんは大変そうな素振りも見せずに、素直にただ「はい」と言って毎日書き直しを続けました。そうした素直な態度にこちらも心を打たれ、指導にも熱が入っていきました。提出書類には正解はありませんから、どこまで推敲を練るかはすべて自己判断となります。書くのを嫌がったり、ためらう素振りを見せたりすることがあれば、推敲回数も減り、違ったものになったでしょう。そうしたことがなかったため、当初考えていたものよりもは良いものができました。個々の書類はまだ、修正の余地がありましたが、全体像はできたので、勝負の土俵には上がれました。

こうした過程では、受験する人にとっても、指導する人にとっても無数の判断の連続が存在します。あと一回、納得のいくものに少しでも近づけるために、修正するかどうか。提出まであとわずかな日数しかない中で、新しい案をとりあえず、書いてみるかどうか・・・。指導する側が妥協せずに添削をするということは、指導される生徒もそれについてこれる気持ちがないといけません。

結局のところ、どのような態度で入試に臨むのかという根本的な姿勢が問われるのです。日々で見ると少しずつ、しかしいずれはそれが結局大きな違いとなり、最終的には合否という結果につながっていくのだと思います。

そう考えると、一言で運と言っていることは、原因が複雑すぎて言葉で言い切れないために便宜的に言っているにすぎないもので、本当のところは、周りの人をどれだけ味方をできるかという生き方の姿勢ではないかと思えてきます。